はじめに
Eigen は、矛盾した立場に立っています
Eigen 現象学的セルフコーチングは、
最初に、とてもめんどくさいことを言います。
人生の軸は、
意志や決意で
作れるものではありません。
これは、
何度でもはっきり言います。
ミッションを決めろ
- ビジョンを描け
- 人生の目的を言語化しろ
- こういうことを
Eigen は一切やりません。
なぜなら、
意志で作った軸は、
ほぼ確実に
「他人由来の物語」
になるからです。
親が喜びそうな軸
- 世間的に正しそうな軸
- かっこよさそうな軸
- 自己啓発っぽい軸
- こうして作られた軸は、
一時的には
人生を前向きに見せてくれます。
でも、
どこかで必ず壊れます。
それでも、Eigen は
「軸はあったほうがいい」と考えています
ここが、
Eigen の一番大事なスタンスです。
軸は、
作れない。
でも、
あったほうがいい。
Eigen は、
「軸なんてなくていい」
とは考えていません。
むしろ逆です。
軸がある人生のほうが、
ほぼ確実に、
生きやすいし、
意味が大きくなります。
なぜなら、人生は
「意味の連続」だからです
人生は、
ただ出来事が起きて
消えていくだけの
物理現象ではありません。
私たちは、
起きた出来事に
必ず意味を与えて生きています。
なぜこの仕事をしているのか
なぜこの人と一緒にいるのか
- なぜこの苦しさを引き受けているのか
- この「なぜ?」に
何も答えられなくなった瞬間、
人生は一気に空虚になります。
軸とは、
人生を一つの「物語」にする装置です
Eigen が言う「軸」とは、
高尚な使命や
立派な理念のことではありません。
もっと地味で、
もっと人間的なものです。
軸とは、
自分の人生を
ひと続きの物語として
感じられるための
解釈フレームです。
軸があると、何が起きるか?
たとえば、
失敗
遠回り
理不尽
無意味に見える努力
これらが、
ただの「不運」や
「無駄な時間」ではなく、
「この物語の一部だった」
と解釈できるようになります。
つまり、
軸がある人生は、
良し悪しはあれ、
ほぼ確実に
意味が大きくなります。逆に、軸がないと
どうなるか?
ここは、
かなり冷酷に書きます。
軸がない人生は、
何も引っかからず、
何も積み上がらず、
ただ出来事が
流れていくだけの
感覚になりがちです。
何をしても
手応えがない
何を達成しても
すぐ虚しくなる
何もしていない時と
何かしている時の差が薄い
- これは、
「成功している人」にすら
普通に起きます。
それでも、Eigen は
「軸は作れない」と言い続けます
ここが、
Eigen の一番めんどくさい立場です。
軸は、
あったほうがいい。
でも、
作れない。
しかも、
できないこともある。
この矛盾した場所に、
あえて立ち続けます。
なぜなら、
意志で作った軸は、
ほぼ確実に
「他人由来の物語」
になるからです。
では、Eigen は
何を支援するのか?
Eigen が支援するのは、
これだけです。
軸が、
見つかるかもしれない場所に
立ち続けること。
もう少し正確に言うと、
価値観を疑い
順位づけを壊し
目標を冷やし
理想像を相対化し続ける
このプロセスの中で、
それでも残り続けるもの
- 何度虚無に飲まれても
しつこく戻ってくるもの - 評価されなくても
なぜか捨てきれないもの
それが、
軸になり得るものだと
Eigen は考えています。
それでも、
見つからないかもしれません
ここも、
はっきり言います。
Eigen をやっても、
軸は見つからないかもしれません。
一生、
見つからない人もいます。
Eigen は、
それを失敗とは言いません。
軸は、
努力や才能の問題ではなく、
構造と偶然の問題だからです。
それでも、
Eigen はこのワークを
作りました
なぜなら、
人生が「意味の連続」である以上、
軸を探す営みそのものが、
すでに意味だからです。
そして、
軸が見つかるかもしれない場所に
立ち続けること自体が、
人生を
一つの物語として
生きようとする態度だからです。
まとめ
Eigen は、
軸を作るワークではありません。
でも、
軸があったほうが
人生の意味が大きくなること自体は、
はっきり肯定しています。
だから Eigen は、
軸が見つかるかもしれない場所に
立ち続けることを、
一人で実行するための
セルフワークとして
設計されています。
